後(桓)階疾篤、遣使者即拜太常、薨、帝為之流涕。諡曰貞侯。子嘉嗣。以階弟纂為散騎侍郎、賜爵關内侯。
嘉尚升遷亭公主、會嘉平中、以樂安太守與呉戰於東關、軍敗、沒。諡曰壯侯。子翊嗣。
(『三国志』巻二十二、桓階伝)
三国時代、魏の桓階の跡継ぎ息子は桓嘉といった。
彼は父の爵位を継いだだけでなく公主つまり姫君を娶った貴公子であった。
彼が楽安太守の時、魏は呉と東関で戦った。
呉では「東興の役」と呼んでいる戦いである。
この戦いは呉が勝利し、桓嘉は呉に討ち取られたのであった。
という経歴はここでは重要なことではない。
気になったのは、長江と巣湖のあたりが主戦場のはずの東興の役に、青州北部を統治するはずの楽安太守が動員されていることだ。
おそらくは太守本人だけでなく率いる兵も青州の人間だと思われるが、彼らはどういうルートで揚州の戦場に参戦していたのだろうか。
陸路だろうか、青州の川をつたったのか、それとも海から長江に入ったのか。
海路だったら面白い。