厳才の乱

其後嚴才反、與其徒屬數十人攻掖門。(王)脩聞變、召車馬未至、便將官屬步至宮門。
太祖在銅爵臺望見之曰「彼來者必王叔治也。」相國鍾繇謂脩「舊、京城有變、九卿各居其府。」脩曰「食其祿、焉避其離?居府雖舊、非赴難之義。」
(『三国志』巻十一、王修伝)

曹操が魏国に居た時、「厳才」という者が反乱を起こしたことがあったらしい。
王修は変事の発生を知ると、乗り物到着を待たず徒歩で属官を連れて主君曹操の元へ駆けつけたという。


ただし彼は魏国の九卿であったことから、相国鍾繇からは勝手に駆けつけず自分の役所にいるべきだと批判されている。

本来の職務を捨てた行き過ぎた忠節のことは今回の本筋ではないが。



「厳才」なる人物の反乱についてはここでしか言及が無い。
この変事はすぐに鎮圧されたのだとは思うが、それにしても魏国の宮殿を反乱者が襲うという大事件の割には扱いが小さいような気もしないでもない。