遼東公孫氏についての妄想

最初に断わっておくとこれは妄想、戯言の類。
ほとんど根拠も無いようなものなので真に受けないように。


三国時代に意外としぶとく残った遼東の公孫氏政権。

この勢力が生き延びたのは中央から遠く離れていたという地理的要因が一番大きいのだとは思うが、なぜ公孫氏は(あるいは遼東は)高句麗や烏丸と隣接していながら優勢を保ち続けていたのか。
その軍事力やその基盤となる経済力はどこにあったのか。



それは海運を中心とした貿易ではなかったか。


烏丸、鮮卑、あるいは高句麗やもしかしたら倭あたりまでの文物を中国へ輸出し、中国の文物や食料をそれらの国々へ輸出する。

この中継貿易拠点として栄えたというのがこの時代の遼東公孫氏政権だったのではないか。
つまりヨーロッパにおけるヴェネツィア共和国である。



中国への輸出はおそらく海路により青州へ運ばれたのではなかろうか。
公孫度青州の領域内に進出して営州なる州を新設したのは単なる領土欲からではなく、海運のための中国側の中継点や港として必要だったからではないか。