18人の西域都護

贊曰、自元狩之際、張騫始通西域、至于地節、鄭吉建都護之號、訖王莽世、凡十八人、皆以勇略選、然其有功迹者具此。廉襃以恩信稱、郭舜以廉平著、孫建用威重顯、其餘無稱焉。
(『漢書』巻七十、傅常鄭甘陳段伝賛)

前漢の西域都護について、この班固の賛によれば前漢から王莽の新の時代までで18人いたという。
実際何人追えるかちょっと探してみた。
もしかしたらもっといるかもしれないが。


  1. 鄭吉(宣帝の頃、初代、『漢書』列伝あり)
  2. 甘延寿(元帝の頃、匈奴単于を殺す、『漢書』列伝あり)
  3. 韓宣(元帝の頃?、『漢書』西域伝下)
  4. 段会宗(成帝の頃、『漢書』列伝あり)
  5. 郭舜(成帝の頃、『漢書』西域伝上)
  6. 廉襃(成帝の頃、『漢書』西域伝下)
  7. 孫建(哀帝の頃、『漢書』西域伝下)
  8. 但欽(平帝・新の頃、焉耆国に殺される、『漢書』西域伝下)
  9. 李崇(新の頃、『漢書』西域伝下)


というわけで、『漢書』で名前が見えるのは9人だった。
残りは賛で言っていたとおり、特筆するような事績がなかったのだろう。