前漢末の外戚王氏の平阿侯王譚、なんだか息子を良く見かけると思ったら4人いた。
久之、平阿侯譚薨、諡曰安侯、子仁嗣侯。
(『漢書』巻九十八、元后伝)
まず嫡子の王仁。
是時、成帝外家王氏衰廢、唯平阿侯譚子去疾、哀帝為太子時為庶子得幸、及即位、為侍中騎都尉。上以王氏亡在位者、遂用舊恩親近去疾、復進其弟閎為中常侍。
(『漢書』巻九十三、佞幸伝、董賢)
それと哀帝に寵愛された王去疾とその弟の王閎。
安定大尹王向、莽從弟、平阿侯譚之子也、威風獨能行其邦内、屬縣皆無叛者。
(『後漢書』列伝第三、隗囂伝)
そして安定を守っていた王向。
王莽時代末期、東郡に王閎、安定に王向、そして九江には王譚の孫である王述(先日の記事参照)がいたということになるようだ。
少なくとも王閎と王向は統治ぶりは悪くなかったようであるから、意外と有能揃いの一族だったのかもしれない。