江川の耳

其珠崖・儋耳二郡在海洲上、東西千里、南北五百里。其渠帥貴長耳、皆穿而縋之、垂肩三寸。
武帝末、珠崖太守會稽孫幸調廣幅布獻之、蠻不堪役、遂攻郡殺幸。幸子豹合率善人還復破之、自領郡事、討撃餘黨、連年乃平。豹遣使封還印綬、上書言状、制詔即以豹為珠崖太守。威政大行、獻命歲至。中國貪其珍賂、漸相侵侮、故率數歲一反。元帝初元三年、遂罷之。凡立郡六十五歲。
(『後漢書』南蛮伝)


交趾郡の由来に続いて儋耳郡の由来。


ここはのちに海南島と呼ばれる島なわけだが、漢武帝によってそこには珠崖・儋耳の二郡が置かれた。
この海南島の二郡は真珠その他貴重品を産出したようだが、経営は上手く行かず前漢の間に支配をあきらめ、以後長いこと中国の支配から外れている。



そこの人間の習俗では耳が長い者を尊んでおり、どうやら耳に穴を空けてひもを結び、耳を引っ張って肩まで垂れるようにしていたらしい。


儋耳の「儋」とは「になう、担ぐ」の意味。
つまり儋耳というのは「耳を担ぐ」という意味である。

そう、この現地人の耳を長くする習俗をそのまま郡名にしたのである。




大きな耳で有名な三国時代劉備は、曹操に追い詰められ進退窮まる寸前にこんなことを言っている。

備曰「與蒼梧太守呉巨有舊、欲往投之。」
(『三国志劉備伝注引『江表伝』)

劉備は、南方では大きな耳が尊敬の対象だと知って、敢えて南方を目指したのかもしれない・・・などと言ってみるテスト。