臨朐

臨朐、有逢山祠。石膏山、洋水所出、東北至廣饒入鉅定。莽曰監朐。
【注】
應劭曰「臨朐山有伯氏駢邑。」師古曰「朐音劬。洋音祥。」
(『漢書』地理志上、齊郡)

臨朐、有海水祠。莽曰監朐。
【注】
師古曰「齊郡已有臨朐、而東萊又有此縣、蓋各以所近為名也。斯類非一」
(『漢書』地理志上、東萊郡)


前漢時代、同じ青州の斉郡と東萊郡には、どちらにも「臨朐」という県があったらしい。

当時、同じ地名の県が存在することはそれほど珍しいことではない*1が、これだけ接近しているのは珍しいかもしれない。


ただ、注の顔師古先生によればこういう例は一つではないという。
近いところから名前を取ったのだ、という説明をしているが、どちらかというと昔(周代とか)その地の領主、諸侯が住民ごと移転したときに封邑の名前をそのまま引き継いだという感じなのではないかと愚考する。

*1:例えば新都県は南陽郡と広漢郡にあった。