許昌

會稽妖賊許昌起於句章、自稱陽明皇帝、與其子詔扇動諸縣、眾以萬數、(孫)堅以郡司馬募召精勇、得千餘人、與州郡合討破之。是歳、熹平元年也。
(『三国志孫堅伝)

春秋佐助期曰『漢以許昌失天下』
(『三国志』文帝紀注引『献帝伝』)


後漢末、会稽の許昌という人物が皇帝を称した。

もし『春秋佐助期』なる緯書が当時から知られていたとしたら、会稽の許昌は自分の姓名が預言に合致することを根拠にして皇帝を称したのかもしれない。
(逆に、皇帝を称したいがために預言に一致するよう改名したという可能性もある)