『漢書』宣帝紀を読んでみよう:その6

その5(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180207/1517929573)の続き。






八月己巳、丞相(楊)敞薨。
九月、大赦天下。
十一月壬子、立皇后許氏。賜諸侯王以下金錢、至吏民鰥寡孤獨各有差。
太后歸長樂宮。
初置屯衛。
(『漢書』巻八、宣帝紀


宣帝即位直後、元平元年の残り。




この時死んだ丞相は楊敞。小心者で霍光の忠実な部下、といった感じの人物である。



そういう人物が霍光時代には丞相に選ばれていたという事は注意していていい事だと思う。



なお司馬遷の娘との間に儲けた子が楊綠。




數月、曾孫立為帝、平君為祜礱。是時、霍將軍有小女、與皇太后有親。公卿議更立皇后、皆心儀霍將軍女、亦未有言。
上乃詔求微時故劍、大臣知指、白立許祜礱為皇后。
既立、霍光以后父廣漢刑人不宜君國、歳餘乃封為昌成君。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝宣許皇后)

宣帝の民間時代からの妻であった許氏は、宣帝が皇帝になるとまず「祜礱」となった。これは後宮においては「皇后」に次ぐ位であるから、「第二夫人」みたいなものだろう。



ただ、皇帝と対になる皇后との間には大きな格差が存在する。許氏は最初からは皇后にならなかったが、霍光の願いを押しのける形で宣帝は許氏を皇后にするよう仕向けた。



「あー、俺の腰にはやっぱり昔からの使い慣れた剣が一番だなー(意味深)」という事である。






宣帝時代が始まった。



昌邑王と違い霍光に表立って歯向かう姿勢は見せないが、少しずつ匙加減しながらも独自性を出そう、霍光の言いなりにはならないようにしよう、という態度が見え隠れする。




しかし、今回の行動が少し後に宣帝にとっての大いなる悲劇を生むのであった。続く。