徐宣の反対

太祖崩洛陽、群臣入殿中發哀。或言可易諸城守、用譙・沛人。宣窅聲曰「今者遠近一統、人懷效節、何必譙・沛、而沮宿衛者心」文帝聞曰「所謂社稷之臣也」
(『三国志』徐宣伝)


既に某所で話題にした件だが、自分としては内容が面白かったのでネタにする。


曹操が死んだとき、ある者が言った。
「城を守る者を譙・沛の人間に替えるべきじゃね?」
譙・沛の人間とはつまり曹操と同郷(親族を含む)の、信頼できる人間のことである。

しかし徐宣はそれに怒った。
「バッカ、今は遠くも近くも統一されてみんな忠節の気持ちを抱いてる。譙・沛の人間だけが信頼できるっていうわけじゃないんだ。そんなことしたら他の人間がやる気なくすだろ」

それを聞いた文帝曹丕は「社稷の臣すなあ」と言ったという。


つまり曹操が死に不穏な情勢なので、皇帝を守る人間には信頼できる譙・沛の人間を置くべきだという意見に対し、徐宣はそれは譙・沛以外の現在皇帝の近辺を守る人間が怒るのでやめとけ、と反対したのである。


この時期、曹操曹丕の政権は皇帝が奪われるという事態を恐れ、敏感になっていたのだろう。
皇帝脱出計画である吉本の乱が起こってから間もないので、その気持ちも理解できる。



文脈上、「城守」は「宿衛」と同じものを指すと思われるので、たぶん皇帝を(逃げられたり取られたりしないように)守る者を指すのだろう。