姜維は天水の人ではない

姜維字伯約、天水冀人也。
(『三国志姜維伝)

三国時代姜維といえば、天水郡冀県の人と『三国志』に記されている。


しかし、実は彼は天水郡の人ではない。

漢陽郡。武帝置、為天水、永平十七年更名。在雒陽西二千里。
(『続漢書』地理志五)

天水郡は漢の武帝の時に置かれたのが始まりで、後漢明帝の永平十七年に天水郡から漢陽郡に改名している。

天水郡。漢武置、孝明改為漢陽、晉復為天水。
(『晋書』地理志上)

漢陽郡が天水郡という旧名に戻るのは、晋の時代になってからであるという。



つまり、後漢末から魏の時代にかけて、天水郡は存在しない。
冀県が属する郡は天水郡ではなくて漢陽郡と呼ぶべきなのだ。

三国志』は晋になってから完成しているので、当時の正式名称に従えば姜維の出身は「天水郡」でも間違いではない。

しかし、本人や三国時代の人間たちにとって、姜維の出身は「漢陽郡」であったはずなのだ。