呂氏の功績

俞侯呂它
父嬰以連敖從高祖破秦、入漢、以都尉定諸侯、功比朝陽侯、死事、子侯。
呂后四年)四月丙申封、四年、坐呂氏誅。
(『漢書』高恵高后文功臣表)

前漢呂后の一族と言うと呂后の父の呂公、呂后の兄弟に当たる呂沢、呂釈之や彼らの子の呂禄、呂産あたりが有名だが、高祖の功臣としてはこの呂它の父である呂嬰が呂氏としては軍功抜群だったようだ。
彼は高祖の秦攻めや漢王になってからの諸侯との戦いに従事し、戦死したという。

漢書』では呂氏の事は外戚であることによって列侯になった者を収録する「外戚恩沢侯表」に収められているのだが、この呂嬰の功績により列侯になった呂它だけは軍功や政治上の功績で列侯になった人物を収録する「高恵高后文功臣表」に収められており、彼の功績はガチだったと『漢書』を編纂した班氏にも認められていたことになる。