『史記』問答

帝又問「司馬遷以受刑之故、内懷隱切、著史記非貶孝武、令人切齒」對曰「司馬遷記事、不虚美、不隱惡。劉向・揚雄服其善叙事、有良史之才、謂之實録。漢武帝聞其述史記、取孝景及己本紀覽之、於是大怒、削而投之。於今此兩紀有録無書。後遭李陵事、遂下遷蠶室。此為隱切在孝武、而不在於史遷也」
(『三国志』王粛伝)

有名な王粛と魏明帝の問答。
明帝によれば司馬遷は刑を受けたから『史記』において漢の武帝を貶めたのだという。
王粛の反論によれば『史記』の景帝・武帝の本紀を武帝が見て激怒し、その二つを抹消してしまった。そのために今もその二篇は目録があっても実際の書が無い状態なのだという話を出し、司馬遷は恨みで記述を曲げるような人物ではなく、武帝についての記述は刑を受ける前からのものだとしている。


臣下と対立した明帝が、自分の悪評は刑罰を受けた臣下が恨んでやったことではないかと言い、王粛はそういう評判があるならそれは臣下の恨みではなく明帝自身に問題があるのだと暗に言っているわけだ。

明帝と大臣たちの険悪な関係が垣間見えて面白い。


もう一つ面白いことがある。
「於今此兩紀有録無書」ということは、当時は孝景本紀・孝武本紀は『史記』の本文に含まれていなかったのだろうか。
だとしたら現行本『史記』にある両本紀は、いったいいつ生まれたものなのだろうか。