処刑されても悔いは無い(処刑されない)

草創未就、適會此禍、惜其不成、是以就極刑而無慍色。僕誠已著此書、藏之名山、傳之其人通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉!
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)


司馬遷は、「『史記』完成のために敢えて宮刑を受けた。完成した今は一万回処刑されることになっても悔いはない!」といったことを述べている。




だが、実際のところ司馬遷が非業の死を遂げたとかいったことは『漢書司馬遷伝などには書かれておらず(というか死亡時期等が明確でない)、中書令という武帝の近臣の中でも特に重要な地位にあったまま天寿を全うしたんではないか、と思う(任安への手紙の内容からすると宦官になって以降は処刑に結びつきそうな目立った言動自体慎んでいるようにも見える)。





別に司馬遷が嘘をついたわけでもなんでもない、単なる修辞でしかないことだが、そう考えるとちょっと面白いなあ、と思う。