長い人生

史記』秦始皇本紀の本文には、「孝明皇帝十七年十月十五日乙丑曰」から始まる、明らかに後漢明帝の時のことに言及している部分がある。



ということは、この部分については章帝以降の時代に書かれているとしか思えない(明帝の時なら諡号で書かれるはずがない).わけである。






つまり、司馬遷後漢章帝の頃はまだ死んでおらず、まれに『史記』に手を加えていたということになる。



これで前漢の人司馬遷が『史記』編者であることと章帝時代以降でないと書けない記事があることの辻褄が合うではないか。




司馬遷はまあまあ長生きだったのだ。200歳くらいだろうか。