列侯たちの事件簿その1

前漢の時代、皇帝の近親以外の人臣の身で昇りうる最高の地位は列侯である。
選ばれた貴族である列侯は、何か罪があれば即座に地位も特権も奪われる不安定な身の上でもあった。
中には自業自得の者も少なくないが、こんなことで地位を失うのかと驚くような理由もある。

  • 平陽侯曹宗

元鼎二年、侯宗嗣、二十四年、征和二年、坐與中人姦、闌入宮掖門、入財贖完為城旦。戸二萬三千。
(『漢書』高恵高后文功臣表)

あの曹参の子孫。どうやら後宮の人間つまり宮女と密通し、後宮に侵入したということのようだ。
色々と裏事情を妄想したくなるところだ。

  • 汝陰侯夏侯頗

元光二年、侯頗嗣、十八年、元鼎二年、坐尚公主、與父御婢姦、自殺。
(『漢書』高恵高后文功臣表)

あの夏侯嬰の子孫。公主と結婚していたが、父が寵愛した婢と姦通したことを理由に自殺した。
どうやらその行為は単に醜聞になるだけではなく、当時は自殺にも相当する罪であったらしい。
公主をないがしろにしたからなのか、それとも父への反逆だからなのかはよく分からない。

  • 土軍侯宣生

建元六年、侯生嗣、八年、元朔二年、坐與人妻姦、免。
(『漢書』高恵高后文功臣表)

有名人ではないが高祖の功臣の一人宣義の子孫。
現代でも人妻との姦通は世間から後ろ指をさされ、場合によっては地位も名誉も失いかねないが、この時代ははっきりと爵位を失っている。

  • 衍侯翟不疑

建元三年、侯不疑嗣、十年、元朔元年、坐挾詔書論、耐為司寇。
(『漢書』高恵高后文功臣表)

これも高祖の功臣の子孫。
これはどう言う事かというと、詔書を持ち運ぶときには捧げ持たないといけないらしく、手で挟んで持つことはそれだけで不敬罪ということらしいのだ。
彼はそれの罪に触れてしまい、刑罰を受けた。そうなると自動的に爵位は喪失する。
怖い時代だ。