列侯たちの事件簿その2

前漢の時代、皇帝の近親以外の人臣の身で昇りうる最高の地位は列侯である。

列侯の中でも最も人数が多いのは「王子侯」、つまり皇帝の近親である皇族劉氏の諸侯王の子孫たちである。

彼らは数が多いだけに色々と事件を起こして地位や命を失う事例も多い。

  • 乗丘侯劉外人

侯外人嗣、元康四年、坐為子時與後母亂、免。
(『漢書』王子侯表上)

あの中山靖王劉勝の曾孫に当たる。
父の後妻、つまり継母とそういう関係になった事により領地没収。

  • 新利侯劉偃

神爵元年四月癸巳封、十一年、甘露四年、坐上書謾、免。復更封戸都侯、建始三年又上書謾、免。四百戸。
(『漢書』王子侯表下)

「謾」は「偽る」または「侮る」。意図的な欺瞞であればこの程度では済みそうに無いので「侮る」だろう。おそらく、うっかりと何かふさわしくない事を書いてしまったのだろう。どうやら皇帝への報告または意見書の中で不敬があったようだ。
一度それがあって領地没収になったが列侯に返り咲いた彼は、なんと再び同じようなことをやらかしてまた領地没収になったらしい。
二度目はさすがにうっかりすぎる。

  • 庸侯劉端

侯端嗣、永光二年、坐強姦人妻、會赦、免。
(『漢書』王子侯表下)

あまり多くは言わないでおく。
こんなフレーズが出てきているがピンクチェリーの番組欄ではなく今から二千年近く前に編纂された『漢書』である。