丞相隗林などという人はいなかった

索隱、隗姓、林名。有本作「狀」者、非。顏之推云「隋開皇初,京師穿地得鑄秤權、有銘、云始皇時量器、丞相隗狀・王綰二人列名、其作『狀』貌之字、時令校寫、親所按驗」王劭亦云然。斯遠古之證也。
(『史記』秦始皇本紀、注)

史記』秦始皇本紀によれば始皇帝の時代に「丞相隗林」という人物が登場する。

しかし、その人物は「隗林」ではなく「隗状」であったという説がある。

史記索隱』では最初に否定しているが、そもそもそう書いていた本もあったらしい。

そして、『顔氏家訓』書証篇において、顔之推本人の実体験として、長安で発掘された始皇帝時代の「権(おもり)」の銘文に「丞相隗状」と書いてあるのを見た、と言っている。


なお、『顔氏家訓集解』では、上記の『史記索隱』の文そのものが乱れていて、『史記索隱』も「隗状」を肯定していたのではいかという指摘を載せている。