さかのぼり前漢情勢15

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さて、宣帝の独裁権力と宦官重用はどこから来たのか。

霍光時代のちょっと後のこと。
霍光の息子霍禹、親族霍山らが権力を引き継いだが、能力に欠ける二世たちがすんなりと霍光の後継者に納まれるものではない。

だが、彼らは霍光から引き継いだ領尚書事の職権を用いて転落を防いでいた。

山曰「今丞相用事、縣官信之、盡變易大將軍時法令、以公田賦與貧民、發揚大將軍過失。又諸儒生多窶人子、遠客飢寒、喜妄說狂言、不避忌諱、大將軍常讎之、今陛下好與諸儒生語、人人自使書對事、多言我家者。嘗有上書言大將軍時主弱臣強、專制擅權、今其子孫用事、昆弟益驕恣、恐危宗廟、災異數見、盡為是也。其言絕痛、山屏不奏其書。後上書者益黠、盡奏封事、輒下中書令出取之、不關尚書、益不信人」
(『漢書』霍光伝)

「山屏不奏其書」とは、つまり霍氏批判の上奏文を却下して皇帝へ上奏しなかったということ。

尚書事は、尚書へ送られてくる上奏文を先に検閲して問題のあるものを却下できる権限を有していたのである。
皇帝が若年や病弱、経験不足の時には補佐役、後見人役として機能するのかもしれないが、このように自分の保身に使われる可能性が高いことは明らかである。


そこで、宣帝は「封事」という密奏の様式を定めて対抗すると共に、この上奏文検閲を防ぐために宦官を利用した。

又故事諸上書者皆為二封、署其一曰副、領尚書者先發副封、所言不善、屏去不奏。相復因許伯白、去副封以防雍蔽。宣帝善之、詔相給事中、皆從其議。
(『漢書』魏相伝

この御史大夫魏相の建策により、上奏のコピー添付が廃止された。
つまり領尚書事は皇帝に先んじて検閲し却下することが困難になったのだ。

だが、これだけではまだ不足である。領尚書事の手元に上奏文がある以上、まだどうなるか分からない。


そこで、霍山の言葉にあるように、「盡奏封事、輒下中書令出取之、不關尚書、益不信人」と、宣帝は「封事」として上奏されたものを尚書に到達する前に中書に取りに行かせたというのだ。
「封事」は領尚書事の頭越しに皇帝まで直行するようになったのである。
宣帝は情報戦を制したのだ。

臣下はいつ誰に落ち度や醜聞や追い落としの策略を皇帝に密奏されるかわからないという、一種の恐怖政治の始まりであった。
もちろん霍氏はほどなく自滅同然に抹殺された。


ここで、宦官である中書が活躍している。
宣・元帝期の宦官の暗躍もここに関連していると思われる。
基本的に皇帝だけが見る「封事」だが、中書宦官だけはこれに関われるのである。
為政者批判や密告なども宦官にだけは筒抜けだったことになるし、宣帝も宦官を秘書、側近として事務処理や政策決定をしていったと思われる。弘恭、石顕はその一員であろう。
宣帝流の恐怖政治には宦官が必須の存在だったのである。