真人

盧生說始皇曰「臣等求芝奇藥仙者常弗遇、類物有害之者。方中、人主時為微行以辟悪鬼、悪鬼辟、真人至。人主所居而人臣知之、則害於神。真人者、入水不濡、入火不爇、陵雲氣、與天地久長。今上治天下、未能恬倓。願上所居宮毋令人知、然后不死之藥殆可得也。」於是始皇曰「吾慕真人、自謂『真人』、不稱『朕』。」
(『史記』秦始皇本紀)

かつて始皇帝は「真人」と自称した。
「真人」とは水に入っても濡れず火に入っても熱くならず、空を飛びいつまでも生きていられるという存在。
不老長寿を目指した始皇帝は「真人」になろうとしたようだ。


時代は下って後漢末。ここにも「真人」について言及した権力者がいた。

魏書曰、設伎樂百戲、令曰「先王皆樂其所生、禮不忘其本。譙、霸王之邦、真人本出、其復譙租稅二年。」
(『三国志』文帝紀、延康元年七月、注)

三国志』注引『魏書』によれば、魏王曹丕は自分の父祖の地である譙において上記のような命令を出した。

「過去の王者は生誕の地において楽しんだ。礼においてもその大本は忘れないものだ。譙は覇王の生まれた国、真人を輩出した土地である。譙の租税を二年に渡って免除せよ」

どうやら曹丕は自分か曹操か、ともかく自分達を「覇王」そして「真人」になぞらえているようだ。