曹丕の挙主

獻帝起居注曰、建安十三年、為司徒趙温所辟。太祖表「温辟臣子弟、選舉故不以實」。使侍中守光祿勳郗慮持節奉策免温官。
(『三国志』巻二、文帝紀注引『献帝起居注』)

かの魏の曹丕は当時の三公、司徒趙温に辟召された。



しかしそれに対して曹丕の父である司空・録尚書事は「趙温は自分の子を召し出した。これは不正な人材登用である」と言い、それによって趙温は司徒を罷免された。





曹丕を辟召したら「不正な人材登用」と言われるのでは、当時の献帝政権下では誰も曹丕を辟召できないのではなかろうか?





そういや曹丕の出身である予州の州牧が事実上独立状態だったな・・・。劉備が挙主になれば良かったんだな!