趙飛燕の濡れ衣

趙后居別館、多通侍郎・宮奴多子者。
昭儀嘗謂帝曰「妾姉性剛、有如為人構陷、則趙氏無種矣!」因泣下心妻惻。帝信之、有白後奸狀者、帝輒殺之。由是後公為淫恣、無敢言者、然卒無子。
(『資治通鑑』巻三十一、漢紀二十三、孝成皇帝上之下)

趙后とはいわゆる趙飛燕のこと。
漢の成帝の皇后趙飛燕はトンでもない乱行で知られ、『資治通鑑』にもそれが収録されている。
つまり子が生まれないことから他の男を連れ込んで子供を得ようとしたというのである。

しかしこの有名な話、『漢書』には記されていない。『漢書』で趙皇后姉妹の罪として記されるのは、成帝が他の女性に産ませた子供を殺していたことであって、趙皇后が他の男と通じていたとは書かれていない。

后在遠條館、多通侍郎・宮奴多子者、婕簱傾心翊護、常謂帝曰「姉性剛、或為人構陷、則趙氏無種矣。」每泣下淒惻、以故白後奸狀者、帝輒殺之。
(『飛燕外伝』)

趙皇后の密通は『飛燕外伝』に見える話であり、おそらくはこれが『資治通鑑』に記される内容の直接の出典と思われる。
『飛燕外伝』は『宋史』芸文志の伝記類になって初めて記録されており、漢の成立と言われつつも本当の成立年代も史実に基づくものかもかなり怪しいシロモノ。


漢書』のみでは趙皇后の密通は無いわけだから、彼女の悪行をより強調するために『資治通鑑』は敢えて『飛燕外伝』を採用しているということだろう。


趙飛燕は『資治通鑑』のせいで、『漢書』に記されていない、すなわち史実とは見なしがたい悪行を追加されてしまったとも言える。