ダンカン

老子之子名宗、宗為魏將、封於段干。宗子注、注子宮、宮玄孫假、假仕於漢孝文帝。而假之子解為膠西王卬太傅、因家于齊焉。
(『史記老子韓非列伝)

老子こと李耳さんの子は名を宗といい、魏の将となって段干という領地を貰ったという。


ここで昨日の記事を見直してみる。

生耳、字伯陽、一字聃、周平王時為太史。其後有李宗、字尊祖、魏封於段、為干木大夫。

李宗が魏に仕えて領地を貰ったのは同じだが、こちらでは「段」という領地になっていて、「干木大夫」になったとされている。

これは微妙な違いに見えて結構違う。

新唐書』宗室世系表は「段」の「干木大夫」、即ち「段干木」ということであり、李宗=段干木ということにしたいように思われる。

しかし『史記』では李宗=段干木とはしていない。あえて言うなら李宗は「段干宗」だ。
段干までが地名であり、その地名を取って氏にしたとしても段干氏になるのである。
段干木は李宗の子孫や関係者かもしれないが、同一人物ではないし、段干木が老子の子孫だという記述も『史記』などには見えない。


まあつまりぶっちゃけると段干木という『史記』などに名が見える魏の名士を、老子からの流れで李氏の系譜に位置づけておきたかったのだろう。
そこで、段干木と李宗を直接繋げるため、李宗が領地に貰った地を「段干」ではなく「段」と読み替え、「干木大夫」であったことにすることで、李宗を段干木に化けさせたのである。

単なる系譜の捏造とも言うが。


新唐書』の世系表や、その元となったであろう南北朝から隋唐の各氏の系譜はこういう操作が地雷のように埋め込まれていると思った方がいいと思う。