李さん一家の系図

昨日の続き。


李氏出自嬴姓。帝顓頊高陽氏生大業、大業生女華、女華生皋陶、字庭堅、為堯大理。生益、益生恩成、歴虞・夏・商、世為大理、以官命族為理氏。至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯之墟、食木子得全、遂改理為李氏。
・・・(中略)・・・
五世孫乾、字元果、為周上御史大夫、娶益壽氏女嬰敷、生耳、字伯陽、一字聃、周平王時為太史
・・・(中略)・・・
生信、字有成、大將軍・隴西侯。生超、一名伉、字仁高、漢大將軍・漁陽太守。生二子、長曰元曠、侍中、次曰仲翔、河東太守・征西將軍、討叛羌于素昌、戰沒、贈太尉、葬隴西狄道東川、因家焉。生伯考、隴西・河東二郡太守。生尚、成紀令、因居成紀。弟向、范陽房始祖也。尚生廣、前將軍
(『新唐書』巻七十上、宗室世系表上)

かの唐王朝の皇帝の家である李氏は、あの李耳すなわち老子を輩出し、その更なる子孫に秦の李信、漢の将軍李広がいる、とされている。



だが『史記』や『漢書』の李広の列伝には、李広の先祖が老子であるという言及は特に無いようである。





あれあれ~?どっちも有名人なのにその親族関係が列伝に書かれていないなんてのはおかしいんじゃなかった~?


おかしいなぁ~?老子と李広を繋げた系図もインチキって事なのかな~?なんで顔シコ先生は『漢書』李広伝の注でそう書いてないのかな~?