ドラマチックあげるよ

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20090922/1253557676

言及していただいたので読んでみたら、これはドラマチック。
実際、これはそのつもりで元々書かれてたんじゃないかと思う。

私が知る『三国志』関係のドラマチックな話。

魏略曰時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女。
(『三国志夏侯淵伝注)

魏略曰(前略)初、建安五年、時(夏侯)霸從妹年十三四、在本郡、出行樵採、為張飛所得。飛知其良家女、遂以為妻、產息女、為劉禪皇后。故淵之初亡、飛妻請而葬之。及霸入蜀、禪與相見、釋之曰「卿父自遇害於行輭耳、非我先人之手刃也」指其兒子以示之曰「此夏侯氏之甥也」厚加爵寵。
(『三国志夏侯淵伝注)

夏侯淵の姪にあたる夏侯氏の娘が張飛の妻になり、彼女の生んだ子が劉禅の皇后になった。
これは比較的有名な話だと思うが、その張飛の妻こそが夏侯淵が我が子を捨てて生かしたという弟の娘だったのではないだろうか。



こういう筋書きだ。

その娘はその後夏侯氏の故郷豫州で育ち、そこで豫州・徐州で反乱を起こした劉備の部下張飛に見初められ、略奪同然に妻とされる。

劉備はその後夏侯淵と漢中で戦い、夏侯淵を殺し漢中を奪った。夏侯淵に父同然の恩がある張飛夫人は願い出て彼を埋葬した。

時が下って劉禅が皇帝になった時代、夏侯淵の息子で張飛夫人の従兄にあたる夏侯覇は司馬氏との反目から蜀へ亡命した。
そこで待っていたのはきちんと埋葬されていた父の亡骸と、皇后になっていた張飛夫人が産んだ娘であった。夏侯覇は蜀の宿敵夏侯淵の息子でありながら皇帝の外戚として厚遇されたのであった・・・。

夏侯覇張飛夫人が幼少時は一緒の所で育ったとか、そういう設定にするとドラマ性はもっと向上しますね。