李広の報い

あの漢の将軍李広。匈奴の捕虜になりながら生還したり、虎と間違えて岩を撃ったら岩に刺さったり、と武勇のエピソードには事欠かない有名な人。
しかし彼は出世できないことに悩んでいた。
明らかに自分より劣る者が出世して列侯になったり丞相になったりしているのに、自分は上手くいかない。

(李)廣嘗與望氣王朔燕語曰「自漢撃匈奴而廣未嘗不在其中、而諸部校尉以下、才能不及中人、然以撃胡軍功取侯者數十人、而廣不為後人、然無尺寸之功以得封邑者、何也?豈吾相不當侯邪?且固命也?」朔曰「將軍自念、豈嘗有所恨乎?」廣曰「吾嘗為隴西守、羌嘗反、吾誘而降、降者八百餘人、吾詐而同日殺之。至今大恨獨此耳」朔曰「禍莫大於殺已降、此乃將軍所以不得侯者也」
(『史記』李将軍列伝)

そこで彼は「望気」の王朔に相談した。
まあ、○ーラの泉とか細き和なんとかとか新宿のママとかそういう類の人だ。

李広「なんで俺より劣る奴らに追い抜かされるんだ?俺は列侯にはふさわしくないのか?それとも運命なのか?」
王朔「自分で悔やんでいることに心当たりはないですか?」
李広「昔、反乱した羌族が降伏したのを一旦受け入れておきながら後からだまし討ちにして皆殺しにしたことがあった、あれを今も悔やんでいる」
王朔「既に降伏した者を殺すよりも酷い禍はありません。貴方が列侯になれないのはそれが原因です」

上手くいかないのは自らの悪行の報いであったというお話であった。


他の時代はよく分からないが、少なくとも秦漢の頃においては「禍莫大於殺已降」という認識があったようだ。
秦の白起もそんなことを言っている。
どうも、降伏しない相手を皆殺しにするよりも、降伏した相手をだまし討ちにして皆殺しにする方が酷いことらしい。

おそらく、項羽が秦兵皆殺しで信望を失ったのは、単に野蛮で嫌われたとか秦人が恨んだとかいうだけではなく、この「降伏した者をだまし討ちにする」というタブー(戦争犯罪)を大々的にやらかしたという部分が大きいと思う。
更に言うと、曹操が官渡戦に勝利した時に「偽降」した袁紹の兵を皆殺しにしたと『三国志袁紹伝にあるが、これも似たようなものじゃないかと思う。「偽降」であったことにしておかないとヤバイような戦争犯罪だったのかもしれない。