孔丘先生の落胆

中国は春秋時代に様々な名言失言を残した孔丘先生も、寿命には勝てない。

孔子病、子貢請見。孔子方負杖逍遙於門、曰「賜、汝來何其晚也?」
孔子因歎、歌曰「太山壞乎!梁柱摧乎!哲人萎乎!」因以涕下。
謂子貢曰「天下無道久矣、莫能宗予。夏人殯於東階、周人於西階、殷人兩柱輭。昨暮予夢坐奠兩柱之輭、予始殷人也」後七日卒。
(『史記孔子世家)

もうすっかり弱っている先生だが、「天下無道久矣、莫能宗予。」(天下が無道となって久しく、天下はワシを尊ぶことが出来なかった)との発言のとおりその妄執は相変わらずである。

そして続く発言で自分が殷人であることを述べた上でこの世を去っているが、思うにこれは単に「孔丘先生はやんごとなき血筋でございます」と言う主張だけではない重要な意味がある。

秋、楚伐宋以救鄭。襄公將戰、子魚諫曰「天之棄商久矣、不可」
(『史記』宋微子世家)

かの有名な宋の襄公は戦に際し、「天は既に殷を見捨てておりますから戦いはおやめください」という諫言を受けた。
宋は殷王家の末裔を封建した国である。
かつては天命を受けて天下を治めていた殷は天に見捨てられて滅んだ。
天はもう殷の味方をしないというのである。
(ちなみにこの時の戦であの「宋襄の仁」が炸裂したため宋は負けている)


孔丘先生も宋の襄公と同じ殷の末裔だとしたら、これまでの天命を受けて乱れたこの世を治めるのだという志に燃えて努力してきたことは、全てはじめから無駄だったことになる。

なにしろ、天は殷の末裔に味方しないというのが当時の考え方だったのだから。


天は、先生がいかに大器であろうが、いかに有能であろうが、いかに努力しようが、既に見捨てられた殷の末裔である先生に天命を降し天下を任せることなどありえなかったのだ!


なんという超展開。正義だと信じて戦ってきたのにラスボスから自分たちこそ侵略者だったと暴露されてしまったかのような脱力感、無力感。
先生が失意、落胆したであろうことは想像に難くない。
七日後に死亡、というのはこれを悟った落胆によりすぐ死んでしまったということを示唆しているのだろう。


先生の死後、儒者たちはこの逸話を逆用し、殷の血筋であった先生を殷王の末裔として保護し封建すべしとの論を展開する。
これは先生も草葉の陰で喜んだかもしれないが、先生が自分を殷人だと悟った瞬間、先生はものすごく落胆したと思われることは忘れてはならないのだ。