中国は春秋時代に諸国を股にかけて就活した孔丘先生は、しばしば大人気ない発言をしてしまうことで有名。
弟子の一人、冉子が魯の朝廷から戻ってきた。
孔丘先生は「ずいぶん遅かったな」となんだか帰りの遅かった妻を咎める夫のようなセリフを吐く。
冉子が「政治の話があったのです」と答えると、先生の失言が始まる。
「それは日常業務だろう。本当に政治の話だったら、ワシを責任者にしないまでも、ワシに諮問くらいはするはずだ。」
正直、これはちょっとどう解釈しても孔丘先生の器の小ささを示すエピソードにしか思えない。
この話だけを見ても、その時点で先生が国政を左右するような職に就いていないことは明らか。長期にわたる就活だけ見ても分かるように先生は国政に参加したい。
そこで、弟子が国政の重要事項に参与してきましたなどと言っている。
ここで弟子の成長に目を細めたり、弟子が自分の果たせなかった夢をかなえたと喜ぶような心の余裕がこの時の先生にはない。
「フフン、それはどうせ日常業務レベルだろ。ワシが参与して初めて国政と言えるのだからな」
普通なら、これまで先生が築いてきた威厳が失墜しても不思議ではないほどの暴言である。
これがまかり通るというのは、先生と弟子の間ではもう既に常識は通用しなくなっているということだろう。
師匠にこんなことを言われても平気な弟子たちは、虎眼先生の弟子にも匹敵するほどの尋常ではない忠誠心の持ち主かもしれない。