孔丘先生の就職

中国は春秋時代に生まれた人間山脈の孔丘先生は、自分の就職先が不満で各地に職を求めては断られたことで有名。

孔子貧且賤。及長、嘗為季氏史、料量平。嘗為司職吏而畜蕃息。由是為司空。已而去魯、斥乎齊、逐乎宋・衛、困於陳・蔡之輭、於是反魯。
(『史記孔子世家)


孔丘先生の職歴は、明らかに小役人のそれである。
「聖人之後」などと言われてみても、またどれだけ能力があったとしても、「貧且賤」という実際の出自ではあの時代に高官やましてや主君になることなんてありえない。


で、家畜を増やすのが上手かったという先生は出世して司空になったという。

これについて浅野裕一先生は『儒教 ルサンチマンの宗教』で「昇進が急過ぎるので疑わしい」としているが、これはちょっと違うと思う。
漢書』百官公卿表上、『続漢書』百官志などを見ると、少なくとも漢代には「水司空」「獄司空」といったさまざまな「司空」が存在していたことが分かる。(だから前漢末に三公制を敷いた時には区別のため「大」を付けて「大司空」とした)
たぶん先生の「司空」も、そういったものの一つなのだろう。

もちろんこういった「司空」は小官であり、当時の孔丘先生にとっては出世だろうが、もちろん大臣クラスの大官ではない。

つまりここでの「司空」はいきなり大臣になったという捏造ではなく、家畜を増やした先生を評価してそこそこの官に就けてくれた、ということなのだと思われる。
だがみんなも知ってるあの先生がそれで満足するはずがない。
他国へ出て積極的な就職活動を行い、どこからも蹴られて魯へ戻ってきたのである。


大リーグに挑戦してみたが結局すぐ戻ってきた中村ノリとか福盛あたりのようなものだろうか。
このアグレッシブさは我々も見習うべきと言っておこう。