廃嫡

司馬彪字紹統、高陽王睦之長子也。出後宣帝弟敏。少篤學不倦、然好色薄行、為睦所責、故不得為嗣、雖名出繼、實廢之也。
(『晋書』司馬彪伝)

『続漢書』の編者として知られる晋の皇族司馬彪。
彼は高陽王司馬睦の長男でありながら、品行のせいで実質的に廃嫡されて親族の養子に出された。

曹仁字子孝、太祖從弟也。少好弓馬弋獵。

仁少時不脩行檢。

(注)英雄記曰(曹)純字子和。年十四而喪父、與同產兄仁別居。承父業、富於財、僮僕人客以百數、純綱紀督御、不失其理、鄉里咸以為能。好學問、敬愛學士、學士多歸焉、由是為遠近所稱。年十八、為黃門侍郎。
(『三国志曹仁伝および注)

たぶん、曹仁は司馬彪と似たような理由で廃嫡されて弟の曹純が嫡子とされたのだと思う。