墓荒らし

六月、盜發漢霸・杜二陵及薄太后陵、太后面如生、得金玉綵帛不可勝記。時以朝廷草創、服章多闕、敕收其餘、以實內府。
(『晋書』孝愍帝紀、建興三年)

前漢の文帝陵である霸陵。
宣帝陵である杜陵。
そして文帝の母である薄太后の陵である南陵。

それ以外の陵は新末後漢初に赤眉によってあらかた盗掘されたようだが、上の三陵はそれまであまり盗掘されなかったらしい。
しかし晋の混乱期において、これらの陵墓も盗掘に遭い、副葬品の金銀財宝は奪われ残りも晋の朝廷に接収された。