王莽の皇后

三月辛巳朔、平林、新巿、下江兵將王常、朱鮪等共立聖公為帝、改年為更始元年、拜置百官。莽聞之愈恐、欲外視自安、乃染其須髮、進所徵天下淑女杜陵史氏女為皇后、・・・
(『漢書』王莽伝下)

王莽の皇后というと宜春侯王氏の娘が有名だが、この王氏の死亡後、王莽は後妻を娶っている。

この史氏は杜陵(宣帝陵)の史氏であることから、まず十中八九は宣帝の祖母の実家で宣帝を養育した史氏の同族であろう。
もしかすると、劉玄の即位などという危機的な状況に際して、漢への思慕の情を持つ吏民の支持を取り付けるために漢の皇帝ゆかりの者を敢えて選んだのかもしれない。


それと、髪やヒゲを染めて、ってところが涙ぐましい。