秦王はどこに消えた

魏の明帝曹叡崩御するまさに寸前になって曹芳を皇太子に立て、その日のうちに息を引き取った。

三国志』明帝紀注引『魏氏春秋』によると曹芳は8歳で、共に明帝の養子になっていた秦王は9歳だったという。

なんで、年少の方を立てたんだろう?
秦王のそれ以降の行方と合わせて、不可解な件である。