消えた皇子

ふと思ったが、曹叡こと烈祖様は自分の子を何度か諸侯王に立てている(そして全員すぐ死んでいる)が、皇太子は死ぬ前後の養子斉王曹芳しか立ててないはずだよな・・・。




諸侯王に立てるのはほとんどの場合は「皇太子にするつもりのない子」になるので、烈祖様には別に「皇太子にするつもりの子(嫡子)」がいたか、あるいは「実子を皇太子にするつもりが無い」か*1、ということになるな・・・。



まあ前者なのだろうが、実際に皇太子になった実子がいないところを見ると、皇太子にもならず王にもならないまま若くして世を去り、記録に全く残らなかった子もいた、ということになるのかもしれない。



名前どころか存在自体すら消えた皇子がいたのだとしたら、流石に少々不憫である。

*1:「皇太子にと考えていたが死にそうだったので、無位無官で死なせないようにと諸侯王の地位を与えてやった」という可能性もある。