前漢の儒者その2

前漢後半の儒者は皇帝が自分の師匠や大儒を引き立てたあたりから次第に発言力を増していくが、同時にこの時代の儒者の特徴として、実務的な能力にも優れた儒者が少なくないことが挙げられる。

王吉や易経学者として現代にも名前を残す京房、辣腕政治家翟方進、三公制度の発案者何武など、彼らはむしろ儒学よりも官僚としての能力や政策立案など、極めて現実的な能力を認められてきているのである。

これは、官僚の世界に儒学が浸透しつつあったということだが、裏を返すと、当時の儒学は政治上有益であった、ということでもある。それは倫理や国語力、一般常識として必要だからではない。

易経は陰陽の調和について学ぶと共に未来を見通すことができる。つまり政治にも役立つ。
詩経に収録される詩は失政への批判と解釈される。つまりそのような政治は反面教師になる。
書経黄河治水の事例集であり地理書である。
礼(儀礼)が秩序の維持のため有益であることは言うまでも無い。
春秋に記される過去の歴史とその解釈は、現代の政治に応用するためのものになる。

後の時代はいざ知らず、少なくとも当時の儒学は法律や兵学と同様の、実学として体系立てられた学問だったのである。だからこそ、儒学は漢の朝廷に浸透していったのだろう。