前漢の儒者その1

前漢の宣帝から始まり元帝、成帝の頃にかけて、朝廷の大臣に儒者が多数進出するようになる。
しかし彼らは武帝までに言われていたのと違い、多くは実務能力も示し、また政治を改革しようという強い意欲を持つ者たちであった。

翼奉、貢禹、匡衡、韋玄成らは宗廟制度の改革や、祭祀の改革を皇帝に進言した。
それらはほとんどが制度を縮小しようという方向で行われており(宗廟改革は廟の数を減らそうとしているし、長安を出て行われる天地祭祀を長安の南北郊で行うように変えようとしている)、この当時の財政難に対応するという極めて現実的な理由が裏にあったと思われる。
この当時の儒者は極めて現実的かつ世論を味方に付けた改革者であった。
それはつまり当時はまだ儒者が当時の政界の多数派だったわけではなかったことも示しているように思う。