漢の劉氏

惟宗室子、皆太祖高皇帝子孫及兄弟呉頃・楚元之後。
(『漢書』巻十二、平帝紀、元始五年)

前漢末の時点で、「宗室」(いわば皇室である)というと高祖劉邦かその兄劉仲または弟劉交の子孫のみであったとされる。




だが、劉氏にはどれでもない王として「燕王劉沢」や「荊王劉賈」がいる。



劉賈はすぐ死んでしまっているが、劉沢については3代続いているので、子孫もある程度いただろうと思われる。



しかし上記の話を素直に読めば、劉沢の子孫は「劉氏の王の子孫」ではあっても「宗室」とはされていなかった、各種特典を得られなかった、ということになりそうだ。



まあ、書くのを省略しただけという可能性もあるだろうが・・・。




何にしろ、当時「劉氏」であれば全員が「宗室」というわけではない、ということだけは間違いない。劉邦より前の代で枝分かれした「劉氏」は、劉沢あたりは別としても、基本的には「宗室」扱いされなかったのは確実だろうから。