若き猛将

季布弟季心、氣蓋關中、遇人恭謹、為任俠、方數千里士皆爭為之死。嘗殺人、亡之呉、從袁絲匿。長事袁絲、弟畜灌夫・籍福之屬。嘗為中司馬、中尉郅都不敢不加禮。少年多時時竊籍其名以行。當是時、季心以勇、布以諾、著聞關中。
(『史記』巻一百、季布欒布列伝)

高祖劉邦を攻め立てた将として有名な季布の弟は季心といった。




彼はあの袁盎(呂氏時代に初めて出仕した。高祖の功臣よりは一世代は下と思われる世代)よりは年下であるようだ。



そうなると、季心の兄の季布は高祖劉邦とも戦った世代であることを考えると、この兄弟は結構年齢が離れていたのだろうか。



それに、そもそも季布自身も高祖や当時の功臣たちよりは若い世代であったという事なのだろう。文帝の時にも健在だったし。




季布は高祖劉邦と戦い劉邦に憎まれたことや、匈奴恐れるに足らずと豪語した樊噲を姻族呂后の面前で指弾した話が有名だが、これらは親子ほど年の離れたまだ若い者が年長者の劉邦や樊噲をやり込めた、という構図だったのだろう。



若き猛将季布、というところか。