宗聖か崇聖か

正義、括地志云「漢封夫子十二代孫忠為褒成侯、生光、為丞相、封侯。平帝封孔霸孫莽二千戸為褒成侯。後漢封十七代孫志為褒成侯。魏封二十二代孫羨為崇聖侯。晉封二十三代孫震為奉聖亭侯。後魏封二十七代孫為崇聖大夫。孝文帝又封三十一代孫珍為崇聖侯、高齊改封珍為恭聖侯、周武帝改封鄒國公。隋文帝仍舊封鄒國公、煬帝改為紹聖侯。皇唐給復二千戸、封孔子裔孫孔徳倫為褒聖侯也。」
(『史記』巻四十七、孔子世家注『史記正義』)

臣賢案、獻帝後至魏、封孔子二十一葉孫羨為崇聖侯。晉封二十三葉孫震為奉聖亭侯。後魏封二十七葉孫乗為崇聖大夫。太和十九年、孝文幸魯、親祠孔子廟、又改封二十八葉孫珍為崇聖侯。北齊改封三十一葉孫為恭聖侯、周武帝平齊、改封鄒國公、隋文帝仍舊封鄒國公、惰煬帝改封為紹聖侯。貞觀十一年、封夫子裔孫子徳倫為襃聖侯、倫今見存。
(『後漢書』列伝第六十九上、儒林列伝、孔僖、注)

なぜか唐代の注である『史記正義』や『後漢書』李賢注では曹魏の時に孔丘先生の子孫に与えられた地位を「崇聖侯」としている。


三国志』などを見る限りでは「宗聖侯」なのに。




その後(同じ魏でも長生きした方の魏)に実際に「崇聖侯」になっているために混同されたのだろうか?それとも避諱か何かの問題でもあったのだろうか?

魏の宗聖侯

昨日の褒成侯関係の話だが、前漢の褒成侯は二千戸だった。



魏の宗聖侯は百戸だった。




時代の違い(他の侯とのバランス等)があるので一概には言えないかもしれないが、魏の宗聖侯は前後の時代の孔丘先生子孫の侯よりも領土が少なかったのかもしれない。

格上げかもしれない

魏文帝黄初二年正月、詔以議郎孔羨為宗聖侯、邑百戸、奉孔子、令魯郡修舊廟、置百戸吏卒以守衛之。及武帝泰始三年十一月、改封宗聖侯孔震為奉聖亭侯。又詔太學及魯國、四時備三牲以祀孔子
(『晋書』巻十九、礼志上、吉礼)


かの孔子こと孔丘先生の子孫は曹魏の時に「宗聖侯」となり、晋の時に「奉聖亭侯」に変わった。


また「亭侯」になっている。


時石冰之黨陸珪等屯據諸縣、(華)譚遣司馬褚敦討平之。又遣別軍撃冰都督孟徐、獲其驍率。以功封都亭侯、食邑千戸、賜絹千匹。
(『晋書』巻五十二、華譚伝)

封為襄陽縣侯、邑萬戸。封子彝楊郷亭侯、邑千五百戸、賜絹萬匹、又賜衣一襲・錢三十萬及食物。
(『晋書』巻四十二、王濬伝)

(荀)顗預討(毋丘)儉等有功、進爵萬歳亭侯、邑四百戸。
(『晋書』巻三十九、荀顗伝)

魏晋の頃の亭侯の封邑を見ると、どうも数百戸から千戸以上でもおかしくないようだ。



となると、宗聖侯が邑百戸であったのに対し、亭侯は百戸以上の封邑であった可能性が高くなってくる。




という事は、邑百戸の宗聖侯から、それ以上の戸数である可能性が高い亭侯への変更という事になるわけで、これは格上げなのか?




もしかすると後漢のも同様であった可能性もあるかもしれないが、そこは断言できない。

格下げ

初、平帝時王莽秉政、乃封孔子後孔均為襃成侯、追謚孔子為襃成宣尼。及莽敗、失國。建武十三年、世祖復封均子志為襃成侯。志卒、子損嗣。永元四年、徙封襃亭侯。損卒、子曜嗣。曜卒、子完嗣。世世相傳、至獻帝初、國絶。
(『後漢書』列伝六十九上、儒林列伝上、孔僖)

かの孔子こと孔丘先生の末裔は前漢末に「襃成侯」となり、後漢初期に改めて「襃成侯」とされていたが、上の記事によれば和帝の時に「襃亭侯」になったとされる。



「襃成侯」は県侯だったように見えるので、「襃亭侯」は亭侯に格下げされたように思える。




いったい何があったんだろうか?


それともこれは格下げではなかったのだろうか?(ただ、わざわざ呼び名を変える理由がわからない)

漢代の君2

元帝即位、徴(孔)霸、以師賜爵關内侯、食邑八百戸、號襃成君、給事中、加賜黄金二百斤、第一區、徙名數于長安。霸為人謙退、不好權勢、常稱爵位泰過、何徳以堪之!上欲致霸相位、自御史大夫貢禹卒、及薛廣徳免、輒欲拜霸。霸讓位、自陳至三、上深知其至誠、乃弗用。以是敬之、賞賜甚厚。及霸薨、上素服臨弔者再、至賜東園祕器錢帛、策贈以列侯禮、諡曰烈君
(『漢書』巻八十一、孔光伝)


前漢の丞相孔光の父である孔覇(ご存知孔丘先生の末裔)は、元帝の学問の師匠であった関係で元帝から関内侯の地位と食邑、そして「襃成君」なる号を与えられ、死去した時には「烈君」という諡号も贈られた。



漢代の「君」がますますわからなくなってきた。



ここでは「君」は爵位ではないような爵位のような中間の存在っぽい。関内侯のバージョンアップ版が「君」みたいにも思えない事もないし、そもそも関内侯や列侯とは別のくくりの存在にも思える。



「君」に付随して諡号を与えられているように見えるし、その一方で「君」が次の代に世襲しているかどうか良く分からなかったりもする。





結論。やっぱ分からん。