唯徐

容城侯唯塗光為太常、徙為安定都尉。
(『漢書』巻十九下、百官公卿表下、太始三年)

中三年十二月丁丑、侯唯徐盧元年。
建元元年、康侯綽元年。
元朔三年、侯光元年。
後二年、三月壬辰、侯光坐祠祝詛、國除。
(『史記』巻十九、恵景間侯者年表、容成)


上記の「容城侯唯塗光」は、「容成侯唯徐盧」の孫であるらしい。


そして、『史記』の方の記述からすると「唯塗光」の名は「光」である。



つまり、「唯塗」が姓であり、これは祖父「唯徐盧」の「唯徐」のことだろう。「徐」と「塗」が通じていた、あるいは混同されたのだと思う。



つまり、この「容城侯」(容成侯)の姓は「唯徐」(唯塗)であった*1、ということになる。割と珍しい姓と言えよう。



なおこの「唯徐盧」は降伏した匈奴王だそうなので、匈奴での名前に由来する姓なのだろう。

*1:ちなみに『漢書』ではこの初代を「徐盧」と表記している。