滕公

史記』巻九十五は「樊酈滕灌列伝」。



樊噲、酈商、夏侯嬰、潅嬰の列伝である。




漢書』巻四十一は「樊酈滕灌傅靳周伝」。



樊噲、酈商、夏侯嬰、潅嬰、傅寬、靳歙、周緤の列伝である。




どちらも、他の者は伝のタイトルには姓を使っているのに、何故か夏侯嬰だけ「滕」と表記している。



これは彼が「滕公」という太守?領主?だった事に由来し、死後何十年以上も経過している『史記』『漢書』でも本来の姓より優先して呼ばれている。





大した事ではないが、不思議な事だ。





初(夏侯)嬰為滕令奉車、故號滕公。及曾孫頗尚主、主隨外家姓、號孫公主、故滕公子孫更為孫氏。
(『漢書』巻四十一、夏侯嬰伝)


それとも、直系子孫が「夏侯氏」から「孫氏」と改姓した事も影響しているのだろうか?