執法と御史

文帝即王位、賜爵關内侯。及踐阼、為督軍糧御史、封武平亭侯、更為督軍糧執法、入為尚書
(『三国志』巻二十三、杜襲伝)

及魏、又置治書執法、掌奏劾、而治書侍御史掌律令、二官俱置。
(『晋書』巻二十四、職官志)


『晋書』によれば曹魏では「治書執法」と「治書侍御史」が両方あったとされているが、その一方で『三国志』内には「督軍糧御史」は「督軍糧執法」に名称変更されたらしい記述がある。




思うに、基本的には魏では「御史」が「執法」に変更されたが、「治書侍御史」の一部はそのままになって、「執法」と「侍御史」が両立していた、という経緯なのではないか。


まあ、もしかすると『晋書』は正確ではなくて、「御史」が全面的に「執法」となったが、すぐにまた「執法」が「御史」に戻った、みたいなことを誤解した記述なのかもしれないが。