転勤族

先主祖雄、父弘、世仕州郡。雄舉孝廉、官至東郡范令。
(『三国志』巻三十二、先主伝)


昨日の続きみたいな。



劉備の父は孝廉となり、その後最終的には東郡范県令になった、ということらしい。



おそらくだが、劉備は母と共に父劉雄についていっていたんじゃないだろうか?



そして、父劉雄は范令以外の経歴が不明なので、范県以外にも色々な地に行っていた可能性も大いにあるだろう。



特に、孝廉に推挙された後には洛陽で朝廷の郎官などになっていた時期があったんじゃなかろうか。



つまり、劉備は父の転勤によって一時的であれ首都住まいだったかもしれない、ということだ。