陳正族滅

(孫)權欲廢(孫)和立(孫)亮、無難督陳正・五營督陳象上書、稱引晉獻公殺申生、立奚齊、晉國擾亂。又(朱)據・(屈)晃固諫不止。權大怒、族誅正・象、據・晃牽入殿、杖一百、竟徙和於故鄣、羣司坐諫誅放者十數。衆咸寃之。
(『三国志』巻五十九、孫和伝)


かの二宮事件の中で、孫和解放を求めた朱拠らは百叩きとなり、かつての晋の献公になぞらえて太子孫和廃嫡に反対した陳正らは一族皆殺しにされた。




陳正らへの処分が特に厳しいようにも思えるが、孫権を晋の献公になぞらえるということは、孫権は孫和を殺そうとしているのだ、と言っているようなものなので(晋献公は太子申生を殺そうとしたとされる)、皇帝孫権に対して不敬極まりないと言えるだろう。



孫和はまだ正式には廃位されてすらいないし、廃位されたとしても即殺すことに決定しているわけでもない。陳正らの発言はあまりにも勇み足過ぎた、ということではなかろうか。



廃位された太子はほかにもいるのに、よりによって「父君自身が太子を明確に殺そうと動いた」という事例をわざわざ引いたら、「陛下は太子を殺すつもりですね?」と面と向かって聞いたようなものだ。そりゃ孫権の怒りを買うというものだろう。