孫和の母

孫和の母である王夫人は孫権に歩夫人に次いで寵愛され、孫権は皇后に立てようとしたが、讒言によって死に追いやられたのだ、とされる。



確かに孫和が皇太子となった以上は皇后にしようとしてもおかしくはないのだが、それだけ寵愛を集めていたはずなのに孫権があっさりと讒言を信じて死なせてしまうというのは少々不自然な感じがなくもない。




このあたり、孫和の孫である孫晧が加増あるいは捏造した話が含まれていないだろうか・・・、などと思わなくもない。孫晧が孫和について韋昭に求めた件を思えば、そういったことも行われていても不思議ではないだろう。