尹か帝国

前漢の都長安のある京兆尹、後漢の都洛陽のある河南尹。


用河内張烱之符命、遂僭號、以九江太守為淮南尹。
(『三国志』巻六、袁術伝)

また、袁術も皇帝を称する時にどうやら本拠を「淮南尹」としたらしい。



つまり、皇帝の定住する都は「尹」とされるのが通例だったらしい。少なくとも漢代頃においては。





一方、蜀漢孫呉も、どちらも皇帝が普段いる地を「尹」としていないように思われる。



献帝も許のある潁川郡を「尹」としていないので、皇帝がいる場所は何でも「尹」というわけではなく、都とすべきところを「尹」としている、ということなのかもしれない。




蜀漢孫呉も、実際に皇帝がいる土地はあくまでも仮住まいであって「尹」ではない、「尹」はいずれ魏から河南尹を奪う、と考えていたのだろうか?