安帝好微行、於郊坰或露宿、起帷宮、皆用錦罽文綉。
(王嘉『拾遺記』)
桓帝即位、以明尚書徴入勸講、拜太中大夫・左中郎將、遷侍中・尚書。帝時微行、私過幸河南尹梁胤府舍。
(『後漢書』列伝第四十四、楊秉伝)
是時朝廷爵授、多不以次、而帝好微行、遊幸外苑。
(『後漢書』列伝第四十四、楊賜伝)
後漢の安帝・桓帝・霊帝はいずれも「微行」すなわち皇帝のお忍びでの外出を好んでいたという記録があるようだ。
上を読む限り、この中では野宿まで敢えてした安帝が一番ガチってる。
漢王朝ではそれまでにも微行を好んだ皇帝は少なくないので、漢の皇帝はどうも微行をしたくなる(あるいはしないではいられない)何かがあるのかもしれない。