20代の太守

(李)廣廉、得賞賜輒分其麾下、飲食與士共之。終廣之身、為二千石四十餘年、家無餘財、終不言家産事。
(『史記』巻一百九、李将軍列伝)

至莫府、(李)廣謂其麾下曰「廣結髮與匈奴大小七十餘戰、今幸從大將軍出接單于兵、而大將軍又徙廣部行回遠、而又迷失道、豈非天哉!且廣年六十餘矣、終不能復對刀筆之吏。」遂引刀自剄。
(『史記』巻一百九、李将軍列伝)


かの李広は二千石(太守や都尉)になって40年で、自殺する直前に自分は60代であるらしい事を言っている。




という事は、李広は20代のうちから都尉・太守といった二千石の官に就いていた(しかもどれも辺境)という事なのか。若いな。



軍事畑では新進気鋭のホープみたいな扱いだったんだろうか。