董翳と董仲舒

董氏出自姫姓。黄帝裔孫有飂叔安、生董父、舜賜姓董氏。裔孫辛有、辛有子孫分適晉、有董孤。
裔孫翳、項羽封為翟王、都高奴、子孫遂居隴西。漢江都相仲舒少子之孫、自廣川徙隴西、裔孫徙河東。
(『新唐書』巻七十五下、宰相世系表五下)

これ、なんか分かりにくいんだが、「項羽によって王にされた董翳の子孫が隴西に住むようになった」と「董仲舒の子孫が隴西に移った」との二つの話が書かれているのか?



これ、両立させようとすると「董仲舒は翟王董翳の子孫である」という事になるのだが。





実際は唐の頃の董氏には「翟王董翳の子孫で隴西に住んだ」と称する家と、「董仲舒の子孫で隴西に移り河東に再転した」と称する家がそれぞれあったという事かもしれない。


上の記事ではそれをそのまま書いてしまっていて、両立できるんだか出来ないんだか分からない情報になっているのでは・・・?




まあ、前回の記事同様、「宰相世系表の記事はこういう感じのが多い」という事かもしれん。