恩赦

以(呂)蒙為南郡太守、封孱陵侯、賜錢一億、黄金五百斤。蒙固辭金錢、權不許。封爵未下、會蒙疾發、權時在公安、迎置内殿、所以治護者萬方、募封内有能愈蒙疾者、賜千金。時有鍼加、權為之慘慽、欲數見其顔色、又恐勞動、常穿壁瞻之、見小能下食則喜、顧左右言笑、不然則咄唶、夜不能寐。病中瘳、為下赦令、羣臣畢賀。後更增篤、權自臨視、命道士於星辰下為之請命。年四十二、遂卒於内殿。時權哀痛甚、為之降損。
(『三国志』巻五十四、呂蒙伝)

孫権は病に倒れた呂蒙が少し回復すると、恩赦を出したのだという。



この時の孫権はまだ王でもなかったと思ったが、領内では独自に(勝手に、とも言う)恩赦を出していたという事だろうか。しかも孫権にとって重要とはいえ一将の回復を理由にして。




まあ、どんな規模での恩赦なのか分からないので、当時の孫権が持ちうる権限で行ってもおかしくないものだった可能性も無くはないが、恩赦の類というと本来は皇帝が出すべきものという感じだと思うので違和感はある。